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あたしが「どうしてママとパパは結婚しようと思ったの?」なんて唐突に尋ねたものだから、ビックリしたママは手元が狂いニンジンと一緒に自分の指まで切ってしまった。手首をギュッと握り締めるママに救急箱から絆創膏を一枚持って行った。
「ありがとう」
幸い怪我は大したことなく、少しきつめに絆創膏を巻いてやるとママは何ごともなかったかのように、再びニンジンを切り出そうとした。
「ちょっと! ちゃんとニンジン切る前に包丁洗ってよね。気持ち悪いじゃん」
「分かってるわよ。誠はいちいち細かいな」
「ママが大雑把過ぎるの」
「いいじゃない。半分は同じ血が流れてるのよ」
……いや、そういう問題じゃないし。
何か言ってやろうと思い口を開いたが言葉は出て来なかった。よく言えば大らか、率直に言えば大雑把。自分が気にしないことは他人から何を言われても気にしない。喧しく言うだけ疲れる。親子を十七年やって分かったママの性格だ。
「どうしてそんなこと急に訊くの?」
水で濡らした包丁を拭きながらママが言った。そんなこと、とは、先ほどの質問を指してるのだとすぐに思い至る。
「別に。ただ興味が湧いただけ」
あたしはチラッとカレンダーに目をやる。今日は四月一日。そろそろ春休みが終わろうとしていた。
休みも四日、五日ならいいが二週間以上になると暇を持て余す。人類が全ての義務から解放され完全なる自由を手に入れたとしたら、その自由の重さに耐えきれなくなり義務と苦役を望むだろう、と何かの本で読んだ記憶がある。つまり過ぎたるは及ばざるがごとし、ということだ。
今あたしは典型的な症状が出始めている。いつもならご飯が出来るまで部屋に籠もって待っているのに、今日は手伝ってもいいかなんて気まぐれを起こしリビングで待機していた。
「なんか暇じゃん。テレビも碌なのやってないし」
「ママは忙しいんです」
左手でニンジンを押さえると切ったばかりの指が痛むのか僅かに顔をしかめた。
絶好の口実を見つけたあたしは「それなら手伝うよ」と言って、ママに代わりまな板の前へ立とうとした。
「やめて! 来ないでちょうだい。お願いだから」
物凄い勢いで避けられた。強盗でも威嚇するかのように包丁をブンブン振り回している。あたしはどんだけ危険人物なんだと。天ぷら鍋から火柱上げて換気扇をチョコッと焦がしたくらいで大袈裟な。そりゃ人生で初めて消化器を実戦投入しましたよ。キッチン泡だらけで掃除が大変でしたさ。だけど一回の失敗で見限るのは早過ぎやしませんか? こういうのは根気よく続けるうちに上達するものでしょ。
「お願いだから何もしないで。座って待っててちょうだい」
ママは肩を落とし、グッタリした様子で言った。
「私の目が黒いうちは二度と、お米をコーラやチョコレートと一緒に炊かせたりはしません」
なんだ。そんなこと気にしてたのか。
「だけどママ。お米は外国だとデザート扱いなんだよ」
「ここは日本です。私たちは日本人。日本人にとってお米は主食」
「でも――」
「いいから」
ママはリビングのほうを指さした。「あっちに行ってて」
仕方ない。ここでヘタに逆らって明日の朝刊で“錯乱した母親に包丁で刺された女子高生”と紹介されるのは嫌だ。あたしは引き下がることにした。
しっかり交換条件をつけて。
「分かった。ここからそっちへは入らないから、さっきの話を聞かせて。どうしてパパと結婚しようと思ったのか」
ママは前屈みの体勢で首だけもたげた格好であたしを見る。
「それ話したら邪魔しない?」
「うん。大人しく聞いてる」
邪魔とは失敬なと思ったが、せっかく聞かせてくれるのだから話の腰を折ることもないだろう。
身を起こしたママは包丁をまな板の上に置き、ぼうっと遠くを見る目つきになった。昔を思い出してるのだろうか? しばらく固まって居たかと思うと、おもむろに「切っ掛けは嘘だったのよね」と口を開いた。
「当時のパパったら――まあ今もなんだけど――とにかく時間を守らない人で、待ち合わせに遅刻してくるのが当たり前だったの。デートの時なんて、いっつも三十分以上遅れてくるのよ。どう思う?」
「どうって言われても……」
「遅れて来ること事態はいいの」
「いいのかよ」
「とにかく来てくれた訳だし、そこを長々と言っても仕方ないと思うのね」
「やっぱりママとあたしって……ううん、何でもない」
不思議そうな顔をするママに取り繕った笑顔を向ける。今ハッキリ分かった。私は母親似じゃない。何となく思っていたけど今日ここで決定した。あたしなら彼氏が待ち合わせに遅刻してきたら、たっぷり遅れた時間の倍は説教するもんね。
「それで? 遅れて来ること事態はいい、なら何か他に気に入らないことがあったんだよね」
我が意を得たりとママの大きく見開いた目がこちらに向いた。心なしか鼻息も荒くなる。
「そうなのよ。私は遅刻したんならしたでいいのに、パパったらヘタな嘘で誤魔化そうとするのよ。
「うわぁ。それ本気で言ったの」
「アブダクションなんて言葉、パパの言い訳で初めて聞いたわ」
ママは右手で掴んだ包丁を振り上げまな板に勢いよく打ち付けた。本体から切り離されたニンジンの先っぽが、打ち上げ失敗したロケットのように足下へ落ちた。
「あまりにも酷いから少し懲らしめてやろうと思って嘘を吐いたの。ちょうどその日はエイプリルフールだったから。あら? そう言えば今日は四月一日だわ。偶然ね」
「いつも嘘を吐かれてる腹いせに、一年で一度だけ堂々と嘘を吐ける日に仕返ししたのね」
そういうこと、と言ってママは床のニンジンを拾い上げた。
「洗ったら」
どうしたものかと手の平に乗った赤い欠片を眺めているママに言った。そうねと応じて水道で汚れを落としまな板の端に戻した。
一連の動作を待って言った。
「それで? どんな嘘を吐いたの」
「どうせならビックリして腰が抜けるくらいの嘘が良いかなと思って」
「ママ性格悪い」
「一年に一回なんだもの。それくらいしたってバチは当たらないでしょ」
当時のことを思い出して愉快な気分になったのだろう。顔に薄く笑みが浮かんでいる。緩む口元を手で隠した。
そんな仕草されるとますます気になるじゃない。
「だから結局なんて言ったのさ」
あたしは少し乱暴に催促してみた。
「お父さんが待ち合わせの時間に遅刻して慌てて来るでしょ。いつものことね。それでこれもいつものとおり言い訳を始めようとするんだけど、その前に遮ってこう言うの。『あら大丈夫よ時間に遅れたくらい。私なんて“アレ”が遅れてるんだから』って」
「…………」
ひょっとしたら、うちの母親は恐ろしい人なのかもしれない。
「そんなこと言われたらパパ腰が抜けるどころか、オシッコ漏らしそうになったんじゃない?」
どうだったかしらね、とママ。
「その日はパパ急にお腹が痛くなったと言って帰っちゃったから」
「逃げたの! パパ駄目じゃん。最悪」
逃げるとかマジあり得ないし。あたしの中でパパの格付けが“普通の父親”から“駄目な男”に下がった。
「だけどその後が大変だったのよね」
ママは笑いを貼り付けたまま言った。
「その日の夜にパパとパパのパパ――つまりお祖父ちゃんなんだけど――が一緒にうちを訪ねて来たの。パパったら顔が腫れるくらい打たれていてね。男版お岩さんだったわ」
逃げた訳ではなかったのか。ごめんパパ。格付けは前のとおり戻すね。
「両親まで巻き込んで上を下への大騒動。こうなっちゃうと嘘でしたとは言い出せなくなって」
「そりゃそうよね」
そんなこと言った日にはズコーッて転けるどころの騒ぎじゃない。
「どうしようか考えてる時、お義母様が『病院へは行きましたの?』と訊いてきたものだから、これ幸いと飛びついて単に遅れているだけかもしれないので明日にでも行ってみます、と言ってその場を乗り切ったわ」
「へー。なんとか命拾いしたんだ……って、ここまで聞いといてなんだけど、それじゃ結婚の理由になってなくない?」
これで終わっていたらね、と、意味深に呟くママ。
まさか――。
「本当に出来てたの?」
恐る恐る尋ねるとママは大きく頷いた。
「ウッソー!」
「嘘みたいな本当の話ってあるのね。年明けにはめでたく女の子が生まれて今年で十七歳よ。驚かすつもりが不意打ちくらって私のほうが驚いてれば世話ないわね。ほんとエイプリルフールのネタって難しいわ」
いや間違いなく一番驚いてるのはあたしだと思う。両親の馴れ初めと自分の出生にそんな秘密が隠されていたなんて想像もしたことなかった。パパは知ってるのかな? 知らないんだろうな。言わないほうがいいよね。
そこでハッと気がついた。
「ねえママ」
「――ん?」
「ひょっとしてあたしの名前そこに因んでないよね」
誠。初めは嘘を吐いたつもりが、それによって存在を見出された子供。嘘から出た誠。
ママは目を逸らし左手でニンジンをまな板に押さえつけた。
「さあ。どうだったかしらね」
鼻歌でも始めそうなほど上機嫌なママはリズミカルに包丁を操り始めた。
|=゜ω゜)ノィョゥ
これはハキダメにつるさんの短編競作企画エイプリルフール版に参加したものです。時間を守れない世の男性諸君、気をつけなはれや。
そんなことを言いながら今、微妙に午前0時を回ってしまってるんだけど……あ、あれだ。協定標準時と日本時間では9時間の誤差が。
天ぷらファイアーは俺の実話です。燃ーえろよ、燃えろーよ、炎よ燃ーえーろ~
必要ないと思っても消化器は定期的にチェックしましょうね。古いの飾ってると、いざというとき使えませんよ。
この手の嘘は、女性だったらあまり罪悪感なしに使いそう。ギャグよギャグ。そうね。うしろめたさでいったら、新品のコートを「やあねえ。結婚前から持ってたじゃない」と同じくらい。気をつけなはれや(真似してみた)
母娘の会話が自然でよかったです。すらすら読めてしまった。
天ぷらファイヤーはわたしもあります。消火器の出番はなかったけど、ああいうのは、度胸をつけるためにも経験しておいたほうが絶対いいのよ。なんちゃって。
元々は「待ち合わせに遅刻してくる男へ何と言うのが最も効果的か」という雑談から生まれたネタです。
これくらい言って驚かしとけ~、みたいな。
まあ相手も思い当たる節のひとつ二つあるからビックリするんですけどね^^
大雑把な性格と名前に罠が仕掛けられていたとは(笑)
ところで、上岡龍太郎氏は弟子が遅刻したとき、
「面白い理由をいえば許してやる」と言ったそうですよ。
嘘は大きい方がバレにくいですしね。
でも消火は早めにね♪
>「面白い理由をいえば許してやる」と言ったそうですよ。
上岡龍太郎なつかしい!
探偵ナイトスクープはやっぱり上岡龍太郎じゃないと。
>嘘は大きい方がバレにくいですしね。
あまりにも大きな嘘を吐くと突っ込むほうも戸惑いますからね。
お母さんの嘘が最後どんな結末になるのか、ハラハラしながら読みました。
私は天ぷらファイアーはありませんが、熱い天ぷら油に水を入れて「ぎぃやあああああ!」な事態なら経験ありマス……。
聞いた直後は驚き頭が真っ白になって家へ帰ったけど冷静になってから父親に話すとブン殴られ首根っこ掴まれ引き摺って連れて行かれた、という裏ドラマが(たぶん)あります。
>名前の「誠」、途中までミスじゃねえのとか思って
>読んでたら、最後、ピシャリと決められて納得!
>こういうのも快感ですね。
孫琳さん言うところのNPNなので大変心苦しい限りです^^;
おーわらーな~い~~と泣きそうになりながら書いてる姿を想像して下さい。
名前は最後の数行を書いてから頭に戻って書き足したので完全な帳じり合わせです(笑)
使うときになって出て来ないと困る。
嘘から出た誠。不用意な嘘には注意ですね。
>人類が全ての義務から解放され
なるほど。
やることが山積みになっている今が華というわけですね。
肝に銘じておきます。
>時間を守れない世の男性諸君
は、はいっ! 以後、気をつけます!
あ、でも標準時間で考えれば、ぼくもセーフ?
まあ理念なきグローバリズムは偏狭なナショナリズム同様に危険なんですけどね。
苦しいよー、苦しいよー。心が苦しいよ~。
>
>天ぷら鍋から出火は、私も経験があります。私の場合、揚げ餃子を作ろうとした時ですが。
>
>みんな経験あるんですね(笑)
これは一種の通過儀礼です(笑)
指を切りながら包丁の使い方覚えるのと一緒ですね。
コメント遅れまして申し訳ございません。
アレが遅れて・・・・・・男としては有罪判決なみに、ショックな一言ですね(笑)
人生の監獄に行くわけですし(笑)
チョコでご飯炊くのは、ちょっとおいしそうですね。
チョコフレークのしっとり版な気が・・・・・・
焦るということは身に覚えがあるということで、身に覚えがあるということは……お母さ~ん。それ18禁。
いやー参加表明しておきながら、
ブッチしちゃいましたからねぇ。
なんとも心苦しくて……(笑)
キレイにオチが決まりましたね。
誠って女の子なのに……って
思ってたら伏線だったのかー。
お話のスケールと尺がピッタリと
ハマっていたようなき気がしました。
今さらコメ返しに来ました(笑)
すっかり放ったらかしにしてました。
これ書いてるときが3月の終わりで今は6月。ヤベー。時間経つのが早すぎてついてけてない。