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家財道具一式を運び出しガランとした家の中をAは見て回った。恐らく二度とは戻って来られないだろう我が家の姿を目に焼き付けようとして。祖父の時代から多くの思い出を作った家。目蓋を閉じれば今は無き祖父、父の姿が在り在りと思い出される。
息子も当然この家と事業を継ぐものと信じて疑わなかった。先代二人がそうしたように、自分も下の世代へ譲り渡すのだと。
だが現実は家も事業も手放さざるを得なくなった。
二階の廊下を歩いていたAは床に跪き、板にできた僅かな窪みを指先でなぞった。普段なら気にも止めない小さな傷。今はそれが家族の年輪と見えた。ギュッと胸を掴まれた気がして息が詰まった。
ここを離れたくはない。この家を捨てるのは家族の歴史すべてを捨てることに等しい。だがグズグズしていては捕まってしまう。
未練を引き剥がすように立ち上がってAは階段を下りた。
初代が起こし、二代目が広げ、三代目が傾ける。昔から商売には付きまとう決まり文句のようなもの。まさか自分がその盆暗な三代目に陥るとは想像もしていなかった。祖父の起こした事業は父の代で急成長を遂げ、更なる飛躍を期待され三代目に就任したAが見事に倒してしまった。
時代が悪かった、と言ってしまえばそれまでだが、単に自分が暗愚だったのではないかという思いは拭えない。祖父や父ならどうしたろうか。二人なら見事に立て直して見せたのではないか。駄目な三代目だったのかもしれない。
「旦那様」
暗い階段を踏み外さないよう慎重な足取りで下へ向かうと、玄関脇にピートが控えていた。PTO108型アンドロイド、通称ピートはまだ事業が堅調だったころ購入した使用人ロボットだ。見た目は平均的な二十代の青年だが中身は当時の最先端テクノロジーが詰め込まれている。
「奥様とお坊ちゃまは準備が整っております」
「ありがとうピート」
恭しくピートは頭を下げた。いつもと何ら変わらぬ態度が余計にAを切なくさせる。
「今まで仕えてくれてありがとうピート。分かってると思うが引っ越し先に君は連れて行けないんだ」
倒産で抱える負債は資産を売却しても足りないだろう。明日の朝になれば話を聞きつけ借金取りがやって来る。借りた先が銀行だけならコソコソ逃げ出すことはなかった。何年かかっても完済しようと思えた。だが経営状態の悪化が周知の事実となった末期には銀行など歯牙にも掛けてくれず、不味いと知りながら横道に逸れてしまった。
「分かっております」
ピートは常と変わらぬ淡々とした口調で言った。
「今日までお仕えできて幸せでした。旦那様」
「こちらこそ。よく働いてくれたね」
それが彼らに与えられた唯一の存在意義だとは知っているが、目頭の熱くなるのは抑えられない。
ピートはAに背を向け跪いた。首に掛かった髪を掻き上げチップの収納部を差し出す。
「どうぞ」とピートは言った。
賢いロボットだった。このままピートを置いて行けばメモリに残されたデータから、行き先に関して思わぬ手がかりを掴まれる危険性がある。追っ手の追跡を逃れ新天地で新しい生活を始めるには後顧の憂いは断つ必要があった。
Aは人工皮膚を捲りスロットを剥き出しにした。
「怖いか?」
「いえ。あらかじめ分かっていたことですから。ただ――」
「ただ、どうした」
「もう旦那様や奥様、それにお坊ちゃまのことを思い出せなくなるのはつらいです」
「……私もだ」
動作チップを引き抜いた。ピートは項垂れるように首を落とし動かなくなる。
「ピート」
Aが呼びかけても返事はなかった。彼は視線を手に落としチップを眺めた。五センチ四方の薄っぺらい部品。自分たち一家とピートの数年間が詰まっているかと思うと複雑な気分だった。この程度の大きさに収まってしまう時間だったのかと空しく思える。人間の一生をつぶさに記録してもまだ余るほどの容量を持っていると知っていても。
チップを抜いて
そこで新しい主人を見つけ過去のことは綺麗さっぱり忘れ献身的に尽くすはずだ。それまで自分が何をしていたか、前に仕えていた主人がどうして自分を捨てたか思い出す術はない。
消せない記憶を抱えて生きていくのは人間だけだ。
Aはチップを床に落とし踏み砕いた。パキリと冬に薄氷を割ったような音がする。
今度こそ後に残るものはなくなった。
Aは袖を捲り時計に目をやる。間もなく日付が変わろうとしていた。この時計で午前〇時になったら家を出ようと決めた。
SFだけだと軽くなりがちですが、生活臭とSF臭とが見事にブレンドされて少し違う世界での悲哀が際立ってました。
そうそう、三代目といえば吉田茂の孫麻生総理、日本経済がとても心配ですw
かなり後付け臭かったので薄いんじゃないかと心配してたんですけど^^;
>そうそう、三代目といえば吉田茂の孫麻生総理、日本経済がとても心配ですw
中川(酒)の酩酊会見が印象悪いですね。G7の中身は日銀の介入やむなしと諸国から了解を得るなど、そこそこの成果は上げてたんですけど。あれで国内の報道は全部バッシング一色に染まってしまった。
最近マスコミの6月危機説というのが嘘か真か出てまして。麻生総理としては今までイジメてくれたマスコミが干上がるのを見物しながら、夏以降に解散する気じゃないですか?
わわ、これはまた毛色の違うものをもってこられましたね。
落ち着いた語りの文章が、舞台になるお屋敷や暮らしぶりを想像させて、文学的な香りがプンプンしました。ピートのことも「見た目は平均的な二十代の青年」という描写だけ。どんなアンドロイドなのかな。情報が欲しくて、主人公とピートの会話に聞き耳を立てさせるような効果がでて、すごく良かったです。
自分の記憶が誰かの記憶から消える、現実でいうと「死」なんだけど、そういう圧倒的な虚無感みたいなのをこの話から感じました。これ、かなり余韻残ります。
造語は物書きさんなら「アリ」でしょう。新解釈のホワイトデー、説得力あります。
>わわ、これはまた毛色の違うものをもってこられましたね。
人と違うことがしたい、と、誰もが口にするのと同じことを言ってしまう没個性な子供。それが俺です。
>ピートのことも「見た目は平均的な二十代の青年」という描写だけ。どんなアンドロイドなのかな。情報が欲しくて、主人公とピートの会話に聞き耳を立てさせるような効果がでて、すごく良かったです。
う~ん、と。ピートは大量生産品なんです。工場で型抜きしてガシャポンで作られる流れ作業のロボット。だから目立った個性はないし、却って邪魔なんですね。
>造語は物書きさんなら「アリ」でしょう。新解釈のホワイトデー、説得力あります。
本当はホワイトデーでチョコにまつわる話を書こうと思ったのに出てこなくて、無いなら書きやすいホワイトデーを作っちまえーと思って……。
レトロな昭和風文学の香りがたまらない!
白紙化〈ホワイティング〉かぁ。
人間の記憶も白紙化出来たら幸せなこともあるかもしれませんね。
薄いチップ一枚の記憶というのも切ないですけど。
ところで鯨さん。
ここ、どこ?
その予定だったんですが気づいたらこんな感じに。
>人間の記憶も白紙化出来たら幸せなこともあるかもしれませんね。
最初それやろうと思ったんですが途中で『マインドアサシン』っぽくないかと思っちゃって。気づかなければ突っ走ってたと思います。
>ところで鯨さん。
>ここ、どこ?
RSS吐き出すとスプログさんに美味しく食べられるらしいと聞いたので、眠ってた忍者ID呼び起こしてRSS切ったブログ作りました。
更新時の設定ミスって結局RSS吐いちゃいましたけど(笑)
ところで鯨さん。
ここ、どこ?
袋小路?
同じアジア人種でも太陽の見え方って違うらしいですよ。日本人は一般的に太陽を赤く塗るけど、確か韓国は黄色、中国は白だったはずです。
中国の白は「白日の下にさらす」などの言葉で日本にも入ってますね。
白日。
白 ホワイト
日 デー
併せてホワイトデー。
……こんなところで勘弁して下さい。
>ところで鯨さん。
>ここ、どこ?
>
>袋小路?
考えるな。感じるんだ。
考えましたねぇ
ただでさえ住み慣れた家を手放すのは悲しいことなのに
自分に忠実な尽くしてくれたロボットの記憶を無くして
物として扱われるのはつらいですね。
何もかもやり直す日。
いつになったらホワイトデーが現われるかと読み進めたらそういえオチ?でしたか。
ひねりが効いていて面白かったです。
この文章おいらには一生書けないな。うん。
個人的には、チップが割られたのが、凄く凄く悲しかった。
白紙化されたロボットを戻すという設定がよかったああ。
とはいえ、お話はよかったです。
主人公の色々な思いが伝わってきました。
そして、ロボット、過去という思いを考えさせられる物語でした。
>白紙化されたロボットを戻すという設定がよかったああ。
ああああああ。そっちもあったかあああああ!!!11!!!
いいっすね。面白いです。
古きよきSFの匂いがして、小気味よかったです。
雰囲気で、ちょっとだけ、ハインラインを思い出しました。
最後のシメかたが、無理やり言葉を作ったにしちゃ、かっこよすぎ^-^
>いいっすね。面白いです。
>古きよきSFの匂いがして、小気味よかったです。
フォッフォフォ。わしも歳を取ったもんじゃ。
切なさを増幅させていますね。
こういうロボットとか動物とか、
人間以外の者との心の交流というのに、
ぼく結構弱いんですよね・・・(^-^;)
なんだか嘘っぽさがない気がするんです。
ホワイトデーをそう使ってくるとは思いませんでした。
技ありですね!(^-^)
それにロボットが感情を持ったら「人間と同じく人権を認めろ」と喧しく言い出す人が出てくると思うので。ロボットに人権を認めると種々雑多な問題が生じるんです。ロボットを作るメリットがなくなる。彼らは道具だからこそ存在意義があります。
それでも限りなく精巧に人間を模倣した人型と付き合っていれば情も移るのが人です。
なんで、昭和だと思ったんだろ?
まぁ、それはともかく、面白かったです。
なんとなく、手塚治虫作品を思い出しました。
>
>なんで、昭和だと思ったんだろ?
屋敷のイメージは昭和40年代くらいの小金持ちです。
新しい物と古い物をごちゃ混ぜにするのが好きなんです^^;